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Central Nervous System of Insects


昆虫の体制と神経系

昆虫の体は連続する十数個の体節から構成され,頭部・胸部・腹部の三つの部位に区別される.そのうち頭部は前方の6個の体節が融合したもので,第1体節には複眼,第2体節には触角が発達している.頭部に続く三つの体節が胸部(前胸・中胸・後胸)で各体節に1対の肢が付属し,多くの昆虫では中胸と後胸からは前翅と後翅がそれぞれ1対づつ派生している.腹部は11ないし12の体節からなるが,融合により8〜9節となっている場合が多い.

昆虫の神経系は,神経節の連鎖からできている中枢神経系と,消化管などの内臓筋を支配する口胃神経系を含む末梢神経系から構成される.さらに昆虫の神経系には,脳間部−側心体−アラタ体系や,貯蔵放出器官などから構成される神経内分泌系が含まれている.

中枢神経系は,基本構造としては梯子状をおり,ハシゴ状神経系といわれる.はしごの2本の長い材(縦方向)に相当する1対の縦連合が体軸と平行に走行し,横木に対応する部分に神経節が存在する.(発生学的には,外胚葉由来の神経節原基が各体節に1対ずつ形成され,左右の神経節原基が融合して神経分節となり,神経分節から前後に軸索の束が伸びて縦連合が形成される.)

最も前方に位置する脳神経節(単にともいう)は食道より前方の3個の神経分節が1つに融合したもので,食道上神経節ともいう.食道下神経節は,食道より後方の3個の神経分節が融合したものである.脳神経節と食道下神経節の間の縦連合の間を食道が貫通する.さらに後方には,胸部神経節腹部神経節と続く.食道下神経節から後方の神経節は消化管の下側(腹側)に並んでいて,腹側神経索あるいは腹側神経節連鎖とよばれる.脊椎動物の脊髄は消化管の上側(背側)にあり,昆虫の神経索の配置とは逆になっている.これはない骨格と外骨格の違いによるもので,脊椎動物では脊髄が入った脊椎骨で内臓をつる体制になっているのに対し,昆虫では神経索や内臓をクチクラでできた腹板で下から支えた体制となっている.

神経節の融合は,昆虫の分類群に特異的な神経系の系統発生を反映しており,実にさまざまな融合パターンがある.たとえばミツバチ,ハエ,ガ等では、脳神経節と食道下神経節が融合していて,これを食道が貫通している.また,バッタの胚では腹部体節に11対の神経節原基が出現するが,発生過程で第1から第3番目の腹部神経節は後胸神経節と融合し,さらに第8から第11番目の腹部神経節が融合して大型の最終腹部神経節を形成する.ハエでは胸部と腹部の神経節が融合して分節構造をもった一つの塊となっている.

            
図:カイコガの脳。脳は前大脳、中大脳、後大脳から構成される。脳内には、神経が集まり神経情報を処理する集合体(神経叢)ある。代表的な神経叢は、前大脳の視葉、キノコ体、前大脳側部、中心体、そして中大脳の触角葉である。脳の下部には食道下神経節がつながる。スケールは0.5mm。


神経節の基本構造

神経節の表面は神経鞘で覆われ,内部の神経組織は機械的および化学的に保護されている.神経鞘の外側は細胞外物質からなる神経鞘皮で,内層は周膜細胞(グリア細胞の一種)が単層に並んだ神経周膜である.神経鞘皮が機械的に,神経周膜が血液−脳関門として化学的に神経組織を保護していると考えられている.

神経節の神経組織は,神経細胞(ニューロン)の細胞体が神経節表層に集まった皮層と,その内側の神経叢とに明確に二分されている.昆虫の神経細胞は普通単極性であり,細胞体からは,まず1本の神経突起が神経叢に伸びて,その先でさまざまな形態の分子を広げ,シナプスを形成する.したがって皮層では細胞体にシナプスが形成されることはなく,シナプスはすべて神経叢にあると考えられている.

神経叢ニューロパイル)は密集神経叢,非密集神経叢,神経路に区別される.密集神経叢は細かく分枝した神経突起が密にからまって高密度でシナプスを形成している領域で,周りとの境界が比較的明瞭であり,グリア細胞の層で境界されていることも多い.非密集神経叢はシナプスの密度が低く,境界も不明瞭な領域で,一般染色では明瞭な内部構造は見られない.神経路は神経叢をつなぐ軸索の束である.相当数の軸索が密集して束を形成する場合には,周囲との境界は明瞭だが,小数の軸索からなる束や,束がほつれている場合などには,周囲との厳密な区別はつけにくい.

密集神経叢は,球状,円柱状,または層板状などの,さらに小さい多数のモジュール構造にわかれていることが多い.モジュールといえば,脊椎動物大脳皮質のカラムが想起されるが,カラムは機能的に区別できるものの,形態学的には区画されて見えるわけではない.一方,昆虫の場合は機能モジュールであると同時に,形態学的にも明瞭な区画化がなされており,研究上の大きな利点となっている.

モジュールは,互いによく似た微小回路であり,それらが多数集合して並列分散処理を行う.たとえば,視葉のモジュールは複眼の1個の個眼からの情報を処理し,触角葉のモジュールはある1種類の嗅受容タンパク質を発現している受容細胞群からの情報を処理する.つまり,ある密集神経叢が特定の感覚種機能分担しているのに対して,その中の個々のモジュールは,その感覚種の中のある特定の質にかんする情報処理を分担している.

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脳の構造と機能分担

昆虫の脳は,105から106個の神経細胞から構成され,その数は腹側神経索を構成するすべての神経節に含まれる神経細胞の総数よりも多い.イエバエの脳には約35万個,ミツバチ(働きバチ)の脳には約85万個の神経細胞が存在している.一方,胸部神経節は30005000個の神経細胞から構成され,またハシゴ状に連なる腹部神経節のそれぞれは,昆虫種によりことなるが,400850個の神経細胞から構成されている.

脳は前大脳(protocerebrum),中大脳(deutocerebrum),後大脳(tritocerebrum)の三つの領域に分けられる.それぞれは,頭部第1〜第3節の神経分節に由来する.前大脳の両側には大きく張り出した視葉がある.視葉は3または4個の神経叢から構成されている.左右の視葉にはさまれた前大脳中央域には,キノコ体と呼ばれる1対の神経叢がある.さらにキノコ体にはさまれた前大脳正中部には不対の神経叢である前大脳橋中心体があり,それらをあわせて中心複合体と呼ぶ.これらの密集神経叢の形や大きさ,配置は昆虫種により若干ことなるが,共通点も多い.視葉は視覚情報の処理,キノコ体は匂いの学習や記憶の形成など,中心複合体は行動出力の企画・選択・修飾などに,それぞれ関係していると考えられている.これらの密集神経叢の間や周囲には,前大脳側葉側副葉後傾斜などの非密集ニューロパイルが存在する.

中大脳で顕著な神経叢は1対の触角葉で,ここには主として触角に分布する嗅受容細胞の軸索が触角神経を経て投射している.触角葉の後方には,触角にある機械受容細胞の軸索が投射する背側葉がある.触角を動かす筋肉を支配する運動神経細胞も背側葉に分布していることから,この神経叢は機械感覚−運動中枢とも呼ばれる.

後大脳は脳でもっとも小さな領域で特徴的な構造をもつ神経叢は見られない.後大脳は縦連合により後方の食道下神経節とつながり,また前額神経節は,心臓や消化管の内臓筋を支配する口胃神経系の中枢であり,回帰神経を経て食道下神経節とつながる.

食道下神経節は,主に口器の感覚と運動を司る.すなわち,口器は小顎(しょうがくしゅ)や唇弁など,さまざまな付属肢によって構成されているが,そこに 分布する感覚子の受容細胞の軸索が食道下神経節に終末する.また,触角上の感覚子のうち味覚の感覚子の受容細胞は中大脳だけでなく食道下神経節にも終末する.

胸部神経節には飛翔,歩行,発音などの重要な行動を制御する運動中枢がある.腹部神経節には,姿勢保持や,呼吸・循環に不可欠な腹部のリズミカルな運動,さらに交尾行動や産卵行動の制御に関わる運動中枢がある.これらの運動中枢は,それぞれに特有な感覚入力(トリガー入力)によって,脳と独立して自律的に運動パターンを発現したり補正しているが,行動の開始や維持などは脳からの下降性出力によって制御されている.

前大脳の高次神経叢であるキノコ体,中心複合体,前大脳側葉には,視葉や中大脳。後大脳,食道下神経節や腹側神経索からの感覚情報が,何層かのフィルターを通して処理・統合された形で伝えられる.高次神経叢では,種々の感覚種の情報が処理。統合され,最終的な決定は下降性介在神経の出力に変換される.この下降性の出力によって腹側神経索にある運動中枢が調節去れ,個体が直面しているさまざまな状況に対して適切な反応や行動を生み出す.したがって,頭部と腹部を切り離し,胸部だけの状態でも,羽ばたきや歩行を起こすことができる.また,胸部神経節にも学習能力がある.断頭したゴキブリを吊り下げ,脚がある高さまで下がると電気ショックが与えられるようにすると,30から40分でこのゴキブリは脚を次第に下げなくなる.このように昆虫では学習が胸部神経節など脳以外でも起こる.

腹部神経節

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昆虫の脳を構成するニューロン


昆虫の脳は,ニューロン(neuron)グリア(glia)といわれる細胞からなる.ニューロンもグリア細胞ももとは同じ細胞(幹細胞)から分化する.グリア細胞はニューロンの構造の維持などニューロンのサポート役として機能する.そして,脳の働き(情報処理)の中心はニューロンである.「神経細胞」ともいう.ニューロンというのはギリシア語の「すじ」というのが語源である.

哺乳類では繰りのほうが神経細胞の10倍以上多いとされるが,昆虫では逆にグリア細胞は神経細胞の10%程度である(キイロショウジョウバエの結果:文献1)

ニューロンの基本的な構造と機能は動物を通して共通している.ニューロンが回路をつくって情報処理をするような神経系は,イソギンチャクやクラゲなどの刺胞動物ではじめて現れ,次第に複雑な神経回路からなる脳を獲得していった.昆虫は下等だから,高等なヒトとはちがったニューロンからできているということはない.ただ,昆虫の寸法は,センチメートル程度である.したがって,脳のサイズも小さくなり,昆虫の脳をつくるニューロンの数は哺乳動物の脳に比べて桁違いに少なくなる.ヒトの脳が1000億なのに対して,昆虫の脳はわずかに10万から100万個である.

昆虫の神経細胞は,大きく分けて次の5種類に分類される.
1)感覚神経:末梢から中枢神経系に投射投射する神経細胞
2)投射神経:中枢神経系内の離れた2つの領域を接続する神経細胞
3)局所神経:中枢神経系の1つの領域内のみで終わる神経細胞
4)運動神経:中枢神経系から筋肉に投射する神経細胞
5)神経分泌細胞:内分泌器官などに投射する神経細胞

1)−5)のうち,1)感覚神経のみその細胞体が末梢にあり,他は脳の表層(皮質 rind cortex)に集中している.これは昆虫脳のおおきな特徴である.これは哺乳類脳の大脳皮質に似ているが,大脳皮質では皮質内部に多数のシナプスが存在するのに対し,昆虫脳では皮質にシナプスは一切存在しない.神経細胞は,皮質から脳の内部神経線維を伸ばし,ニューロパイル神経叢, neuropil)でシナプスを形成する.神経叢内にはシナプスはない(図9)

哺乳類では多くの神経線維はグリアにより覆われた有髄神経であるが,昆虫では無髄神経が多く,g類亜は多数の神経線維の束をまとめて覆っていたり,神経叢の区画を多い,境界を形成することが多い.

昆虫の脳をつくる個々のニューロンはその形とはたらきによって特徴付けられるものが多く,「同定ニューロン(identified neuron)」といわれる(図3).昆虫の脳の研究は,このような「少数」,「同定」という特徴を活かして単一のニューロンレベルからその素性を明らかにしながら,脳を理解するという方法がとられてきた.

神経細胞で情報を受ける樹状突起は,哺乳類では細胞体から直接伸びているが,昆虫では神経線維から側枝として伸びる.シナプスは形態的に神経線維形態から推定ができるものが多い.棘状(spine)は入力v,コブ状(bouton,varicose)に膨らんだ場合には出力シナプスである場合が多い.また,細胞体に近い部分には入力シナプス,遠い部分には出力シナプスが多い傾向があるが,一部逆の場合もある.



           

             
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昆虫脳をつくるニューロンのかたち
 

図8に昆虫の脳をつくるニューロンの例を示した.核をもつ球状の構造を細胞体という.大きさは10ミクロン(0.01ミリメートル)くらい.細胞体からは突起がでているが,それが一本のものを単極細胞(例:図8),二本のものを双極細胞,たくさん突起をもつものを多極細胞という.昆虫のニューロンでは,細胞体から一本の線維が出て,それが複雑に分かれる単極のものがほとんど.突起の中でもひときわ長いものがある.これを軸索という.軸索はニューロンの情報を次のニューロンに伝えるための伝導路.そして軸索の末端部は,次に情報を伝えるニューロンに接続される.この接続部をシナプスという.


                   

参考文献


1.昆虫ミメティクス (p126)

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