動物と昆虫の行動 | 戻る |
Animal and Insect Behavior | |
地球には、数百万種ともいわれる多様な生物が、さまざまな環境下で生息している。動物の行動は簡単な反射から、定型的行動パターン、さらに情動行動、記憶学習行動、さらには社会行動にいたるまでさまざまである。ここでは、反射や定型的行動というもっとも基本的な行動の発現の仕組みについて、動物行動学の研究を中心に解説をする。このプラットフォームでは無脊椎動物を中心に扱っているが、反射や定型的行動のようないわゆる本能的な行動については、昆虫をはじめ哺乳類に至るまで、その行動発現の仕組みは共通していると考えられる。そのような行動の基本についてここでは解説する。 |
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1. 動物の行動 動物の行動は,その動物の生活,そして社会と密接なかかわりを持つ.動物の行動は,古くはギリシアのアリストテレスの時代から人々の関心がもたれてきたが,「動物行動学」としての近代的な生物科学見方が確立したのは,1930-1940年代なってからである.動物行動学の確立に大きな役割を果たしたのが,オーストランリアのコンラート・ローレンツ(Konrad
Lorenz),オランダ人で後にイギリスに移ったニコ・ティンバーゲン(Niko
Tinbergen),ドイツのカール・フォン・フリッシュ(Karl
von Frisch)である. 1900年初頭には,パヴロフの条件反射学の影響があり,動物の行動は条件反射の積み重ねにより構築されるものであると考えられていた.しかし,これらの動物行動学者は,それに反して,動物の行動は彼らの形態学的特徴(遺伝形質)とまったく同じように,その動物の種に固有に,遺伝的に備わった特徴(行動形質)であることを明らかにした.つまり,動物にはそれぞれの種に固有の遺伝的に組み込まれた(または遺伝的にプログラム化された)行動パターン(行動様式)が備わり,同時にこの行動パターンは,これもまた遺伝的に決定された特定の因子(解発因,リリーサ;ローレンツ,1935)により,ひとまとまりの動作として解発されることを示した.このような一定の刺激により引き起こるひとまとまりの動作は,行動の「単位」と考えることができる. 動物行動学は英語では「エソロジー(ethology)」といわれるが,その語源はギリシア語のethos(習慣,習性,性格)であり,行動の遺伝的にプログラム化されたという特徴をよく表している.動物行動学は,生物の本能・習性およびその他の一般に生物が表す行動と外部環境との関係を研究する学問として発展し,次のような4つの観点からの研究が進んでいる.すなわち,1)
行動が発現するしくみ,2) 動物にとっての行動の意味(生存価),3) 行動の発達の遺伝と学習の関係,4)
行動の進化である.とくに行動の発現機構は,行動を解発する刺激が受容器でどのように神経情報に変換され,脳その他の神経系での信号処理を経て行動が発現するかを神経レベルで分析する神経行動学(ニューロエソロジー)として発展しつつある.また,行動の生存価・遺伝と学習・発達に関する研究は,行動生態学や社会生物学(ソシオバイオロジー)と呼ばれている. |
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2 行動発現のしくみ 2.1 鍵刺激 動物の行動は,基本的には動物の形態,色などと同様に,その種に遺伝的に備わり,特定の感覚情報である鍵刺激を含んだ解発因によって発現する.鍵刺激には形態・色彩・音・におい・身振りなどが含まれるが,以下にティンバーゲンのイトヨの定型的行動を例に鍵刺激を説明する. イトヨは繁殖期になるとオスは,腹が赤く,メスは腹がふくらんでくる.なわばりで巣をつくったオスは,なわばりに進入してくる同種のオスに特に激しい攻撃をしかけ,追い払う攻撃行動を示す.一方,メスには攻撃を行わない.そこで,図のような本物のイトヨそっくりのモデル(ただし,腹が赤くない)や,形はイトヨとはまったく異なるが腹部のみを赤く塗ったモデルを作成し,なわばりを持ったオスのイトヨに提示した.すると,形はまったく異なるものの腹部を赤く塗ったモデルだけが攻撃を受けた.鮮やかな青色の眼と青みがかたメタリックな背中やモデルのサイズや形は,ほとんど影響を与えなかった.また,背側を赤く塗ったモデルでは,オスの攻撃行動は解発されなかった.ここから腹部が赤いことが重要な刺激となっていることがわかる.イトヨのオスの攻撃行動の解発因は,オスのもつ赤い腹なのである. ========== 図8 ========== |
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2.2 反射と定型的行動パターン このような遺伝的に決定された行動にも,極めて単純な神経経路を介して起こる反射から,中枢神経系での複雑なプログラムを介して生じる定型的(生得的)行動パターンまでさまざまである. 反射は,ヒトの膝蓋腱反射に見られるように基本的には感覚神経が脊髄で運動神経に直接連絡するような単純な反射弓といわれる経路を介して発現する.反射は刺激に依存性が高く中枢からは独立性が高い行動であり,刺激との対応で生じるので,途中で失敗してもやり直しが効く. 一方,中枢神経系にプログラムされた定型的行動パターンは,種特異的な行動であり,やはり遺伝的に決められた特定の刺激(鍵刺激)により解発される.このような中枢プログラムによって生じる行動は,一度起こると途中でやめることができず,やり直しがきかない.定型的行動パターンはコンデンサのように充電された状態から,ひとたび放電が始まると放電が終わるまで放電は続き,途中で止められないようなものであり,完了行動(consummatory behavior)とも言われる.このような性質の行動が存在することは,ネズミを巣作りの時期にケ−ジ内に巣作りの材料なしに入れておくと,巣材がないにもかかわらず,あたかも巣作りの材料があり,それで巣作りをするような一連の行動パターンを発現する(真空行動vacuum
activities).真空行動は,ある動因が激しく上昇することで,行動閾値(behavioral
threshold)が下がり,鍵刺激なしに行動が起こる現象である.このような真空行動からも,遺伝的に組み込まれた中枢プログラムによって発現する行動パターンのあることが推測できる. われわれが目にする動物の行動は,反射と定型的行動パターンが巧みに組み合わさっていることが多い.カエルの捕食行動を例にそれを見てみよう.ヒキガエルの捕食行動は,次のような順序で進み,反射と定型的行動パターンが連続した行動である.まず,虫やミミズなdの獲物の動きを検出すると,1)
獲物方向に向き直り,2) 両眼の視野に獲物を固定する.そして,3) 舌を伸ばしてからめ獲り,4)
飲み込んで,5) 前肢で口をぬぐうという一連の行動パターンを示す.面白いことに,舌を伸ばして獲物をからめ獲る直前に獲物を取り去ってしまっても,ヒキガエルはあたかも獲物をからめとったかのように,飲み込み,口をぬぐうという行動を連続して引き起こす.しかし,獲物に両眼を固定した状態のときに獲物を取り去ると,次の行動は起こらない.したがって,1)から3)は,反射が連鎖して発現する行動であり,3)から5)は中枢神経系にプログラムされた行動が解発されたと考えられる.このようにわれわれが目にする動物の行動は,反射と定型的行動パターンが巧みに組み合わさっていることが多い. 動物の行動の多くは遺伝的にプログラムされたものと考えられるが,ティンバーゲンはこのような行動を発現させる中枢は段階的な構成をもつという「階層モデル」を提案した.動物がある一定の生理的状態に達すると最上位の中枢が活性化され,次の段階の中枢を活性化できる状態にはあるが,抑制が働いており,特定の鍵刺激がなければ下位の中枢を活性化することができない.この抑制除去の機構を生得的解発機構(Innate
Releasing Mechanism (IRM))という.鍵刺激がこないときには,それを求めて動きまわる欲求行動を生じ,鍵刺激が現われるとはじめて抑制が解かれ,その段階特有の行動が解発される.これが「生得的」とよばれるのは,必要とされる鍵刺激がそれによってひき起される行動パターンと同様に,遺伝的に定まっているためである. 上述のイトヨのオスの配偶行動で,階層モデルを説明すると以下のようになる. 1)イトヨは春になると海岸近くの浅瀬に移動する(春の移動).このとき日長効果あるいは水温の上昇が内分泌系を活性化しイトヨの生殖中枢を活性化する.その結果,オスの腹部は赤くなり,メスの腹部は大きくなる. 2)春の移動を解発した最上位の中枢はその下の階層であるなわばり行動の中枢を活性化するが,通常は抑制機構により抑えられている.しかし,鍵刺激(浅瀬の暖かい水や植物)により生得的解発機構が機能することにより抑制が解除され,下位中枢に信号をおくり,下位の「なわばり行動」の中枢が活性される. 3)なわばり行動の中枢は,その下位の中枢である闘争,営巣,配偶,子孫の世話などの行動中枢を活性化するが,同様に抑制機構により抑えられている.このとき,なわばりに侵入したオスにより抑制が解除され,闘争行動の中枢が,成熟したメスでは配偶行動のように,鍵刺激に対応して生得的解発機構が機能し,抑制が解除され,それぞれの行動中枢が活性化される. 4)以下同様の機構により,上位中枢が下位の中枢を活性化し,一連のまとまりのある行動が発現する. このような行動発現の階層機構は神経生理的な実験に基づいたものではないが,行動発現の神経機構を明らかにする上で,重要な作業仮設を提供している. ========== 図9 ========= |
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