フェロモン受容細胞は触角葉の大糸球体にのみ投射したのに対して、一般臭の嗅覚受容細胞の軸索末端は多数の常糸球体に投射する(図9,12)。一般臭の情報処理系では多様な匂いの情報を処理するため、フェロモン情報処理に比べてより複雑な機構を用いていることが推察される。ショウジョウバエではひとつの嗅覚受容体は複数の匂い物質により活性化され、ひとつの匂い物質は複数の嗅覚受容体を活性化する。また、同じ嗅受容体を発現した嗅覚受容細胞は特定の1つまたは2つの糸球体に投射する。このような匂い物質と嗅覚受容体の多対多の関係は、多数の糸球体において多様な活性化を生じ、匂いが複数の糸球体の空間パターンとして表現されることを推測させる27)。さらには、糸球体からの投射神経の一般臭に対する応答は、興奮と抑制を複雑に含む応答パターンを示すことから、時間的な活動パターンも匂い情報として重要であると考えられる28-31)

空間パターン

糸球体における匂いの空間パターン(匂いの情報表現)を捉えるには、糸球体から上位中枢に匂い情報を伝達する多数の投射神経の糸球体内での活動を計測する必要がある。このような計測法の1つにカルシウムイメージングがある。これはニューロンの活動によって細胞内にカルシウムが流入しその濃度が増加するが、あらかじめカルシウムの濃度変化に応じて蛍光強度が変化する試薬(カルシウム指示薬という)でニューロンを染色しておくことで、その蛍光強度変化から神経活動を2次的に計測する方法である。ただしカルシウムイメージングでは時間分解能が最大で30Hz程度であり、神経活動の時間応答の詳細には言及できない欠点がある。

ガリティアらは、ミツバチを用いて多数の嗅受容細胞や投射神経をあらかじめカルシウム指示薬で染色しておき、これにカルシウムイメージング法を適用し、嗅覚受容細胞と投射神経の匂い刺激に対する応答を比較した。それによると、嗅覚受容細胞から触角葉の投射神経に至る過程で、応答する糸球体の数が縮約される(減少する)ことが分かった(図10)。ガリティアらは、この縮約は視覚系などでみられる側抑制と類似の機構によると推測している27)。すなわち匂い物質により複数の糸球体がさまざまな強度で活性化されると考えられるが、このような糸球体間の応答強度の差が側抑制により強調され、匂いのコントラストの差が生じて集約がおこったものと考えている。この側抑制には抑制性の神経伝達物質(GABA)をもつ局所介在神経が重要な役割をもつと考えられている。しかしながら、キイロショウジョウバエでは、嗅覚受容細胞と投射神経の匂いスペクトルに大きな違いはなく、嗅覚受容細胞から投射神経への情報処理過程で情報の修飾はほとんどないという報告もある37)

時間パターン

複数のニューロンの発火パターンを、より高い時間分解能で計測する手法として、マルチ電極が最近よく使用されている。半導体を加工する技術(MEMS)により計測点を複数もつ微小な電極を作製することが可能となっている。しかし、細胞外の計測であるため、計測した信号の発生源を正確に特定できない欠点がある。

ローランらはサバクバッタの触角葉の匂い刺激に対する応答をマルチ電極で計測した。サバクバッタでは局所介在神経は活動電位を発生しないので、活動電位を発生する投射神経の応答は容易に抽出することができる。その結果、匂い刺激に対して投射神経ごとにさまざまな興奮と抑制を複雑に含む応答パターン(slow temporal patternといわれる)を示すことを報告している28-31)。さらに、ローランらはさまざまな匂いの刺激に対する投射神経集団の発火パターンの主成分分析を行い、刺激受容後100-300msで発火パターンの相関が、異なる匂いの間で著しく減少することを示し、匂いが投射神経集団の発火パターンとしてコード化され、発火パターンの相関の減少により匂いが識別されるという考えを提案している28-31)。並木らもカイコガでこれを支持する結果をカイコガで得ている(並木ら、論文)

一方、匂い刺激期間中にキノコ体の傘部より局所場電位(local field potential(LFP))を計測すると、20-30Hzの振動応答(oscillation)がみられる。匂いによって誘発される振動応答は、ミツバチ、ゴキブリ、スズメバチ、マルハナバチなどの昆虫をはじめ、軟体動物、脊椎動物を含め多くの動物種でも計測されている(図11)。これは投射神経集団内での同期的なスパイク発火によるものと考えられる28)。異なる匂いによって反応する投射神経の集団は異なり、この細胞集団を形成する個々の投射神経内ではその発火タイミングの同期性は明瞭ではない。しかし、細胞集団としてみた場合、それらは同期的な振舞いを示し、その同期的出力がキノコ体のLFPの振動となって現れたものと考えられる。GABAA受容体の阻害剤であるピクロトキシンを触角葉に投与することにより振動応答が停止することから、この振動応答は触角葉におけるGABAA受容体を介した局所介在神経と投射神経間の回路により形成されることが示唆されている28)

ストファーらはミツバチの連合学習を利用し、匂いによって誘発される同期的な振動の機能について考察している。ミツバチは触角または前脚に砂糖水(無条件刺激)を与えると、口吻を伸展させる無条件反射(吻伸展反射)をおこす。砂糖水を与える直前に、触角に匂い刺激(条件刺激)を与える試行を数回繰り返すことにより、試行前には匂い刺激だけでは吻伸展を起こさなかったミツバチが、匂い刺激によって吻伸展を起こすようになる(条件反射あるいは連合学習が成立したという)。ここで条件付けをした匂いとは異なる匂いを与えたとき、ミツバチが吻伸展をおこせば、ミツバチはこの2つの匂いを区別していないことになる。逆に吻伸展をしなければ区別したことになる。このようにして条件反射を利用してミツバチが2つの匂いを識別したかどうかを判定することができる。そこで条件付けを行う前に、振動応答を阻害するピクロトキシンを投与した個体とコントロールの個体で匂い識別能力の比較を行った。その結果、ピクロトキシンを投与した個体では、化学構造の大きく異なった匂いは確実に区別できた。ところが、化学構造の近い匂いは区別ができなくなったのである。コントロールの個体は化学構造の近い匂いであっても確実に区別した。このように振動応答は、化学構造の近い匂い間の識別(匂いのファインチューニング)にとって重要な役割を果たすことが示唆されている(図11)31)
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一般臭の触角葉における情報処理