一般臭受容機構
Transduction Mechanisms of General Odor in Insects

戻る
一般の匂い

匂い物質とは、ヒトや動物の嗅覚受容系を経て匂いとして認識される分子量約300以下の揮発性の化学物質である(Touhara and Vosshall, 2009)。これら匂い物質の中で、食物、火災、外敵の存在を知らせるような環境中に存在する匂い物質が一般臭と呼ばれている(フェロモンについては、匂いの受容機構フェロモン参照)。匂い物質の大多数は親油性であり水に溶けにくいが、哺乳類や昆虫はそれぞれ異なる匂い溶解、受容機構を発達させ、匂いを認識してきた。本項では、昆虫における一般臭の受容機構についての分子機構をカイコガでの知見を交えて紹介する。

一般臭の可溶化と輸送

昆虫は、一般臭を触角に存在する嗅覚感覚子によって受容する。嗅覚感覚子は主に触角に分布しているが、キイロショウジョウバエでは少数ではあるが頭部の小顎髭(maxillary palp)や唇弁(labial palp)にも存在することが報告されている(Stange, 1992、de Bruyne et al., 1999、Kwon et al., 2006)。嗅覚感覚子は特徴的な構造をしており、表面に嗅孔(pore)と呼ばれる多数の孔が開いた構造をしている(触角参照)。感覚子の内部は感覚子リンパで満たされており、嗅覚受容ニューロン(olfactory receptor neuron; ORN)の樹状突起が存在する。ORNの細胞体は、匂い結合タンパク質(odorant binding protein; OBP、Vogt et al., 1991)やフェロモン結合タンパク質(pheromone binding protein; PBP、Vogt and Riddiford, 1981)を分泌する補助細胞(鞘生細胞、毛生細胞、窩生細胞)によって囲まれている(Steinbrecht et al., 1995、Shanbhag et al., 1999、Shanbhag et al., 2000)。ORNは双極細胞であり(Keil, 1997)、一方は感覚子リンパ中に樹状突起を伸ばし、もう一方は脳へ投射している(神経経路参照)。ORNは樹状突起上に存在する受容体が匂い分子と結合することによって興奮し、脳へと刺激を伝える。このような嗅覚感覚子はその形態と大きさから複数のタイプに分類されており(Shanbhag et al., 1999、触角参照)、各タイプごとに感覚子の匂い応答は単一感覚子記録法により観察できる(de Bruyne et al., 2001)。キイロショウジョウバエでは、ほとんどのタイプの感覚子について匂い応答スペクトルが決定されており、感覚子はタイプごとに異なる匂い応答スペクトルを示す(de Bruyne et al., 1999, 2001、Hallem et al., 2004、Yao et al., 2005、van der Goes van Naters and Carlson, 2007)。各感覚子には2-4個の異なる受容体をもつORNが存在し、感覚子の匂い応答スペクトルはこれらのORNの匂い応答スペクトルを表している。たいていの場合、一般臭を受容する感覚子は異なる匂いに様々な強度で応答するスペクトルを示す(de Bruyne et al., 1999, 2001、Hallem et al., 2004)。これらORNの応答スペクトルは、嗅覚受容体のリガンド親和性によるものであることが示されている(以下参照)。

嗅覚感覚子に吸着された匂い物質は感覚子リンパ中に高濃度で存在するOBPによって可溶化され、受容体へと輸送される。昆虫のOBPはポリフェムス蚕(Antheraea polyphemus)で初めて発見された(Vogt and Raddiford, 1981)。それ以降、40種類以上の昆虫種で単離されており、ゲノム解析により、カイコガでは44種類、キイロショウジョウバエでは51種類、ハマダラカでは57種類あると推定されている(Maida et al., 1993、Krieger et al., 1996、Pelosi et al., 2006)。これまでに単離されているOBPはアミノ酸配列の類似性に基づいて4つのタイプ(PBP、General odorant binding protein;GOBP1、GOBP2、Antennal binding protein X;ABPX)に分類される(Vogt et al., 1991、1999、Pelosi et al., 2006)。OBPは約15kDaの可溶性のタンパク質で、6つのシステイン残基が保存されており3つのジスルフィド結合をもつ(Scaloni et al., 1999、Leal et al., 1999)。立体構造については、カイコガのPBPを用いて初めてX線結晶構造解析が行われて以降、キイロショウジョウバエのOBP(LUSH)など6つのOBPについて結晶構造解析が行われている(Sandler et al., 2000、Pelosi et al., 2006)。これら結晶構造解析による結果を元に、匂い分子を結合したOBPは樹状突起膜付近の低pH領域に入ると、pH依存的にコンフォーメーションを変化させ、匂い分子をリリースし受容体へと受け渡されると考えられている(Leal et al., 2005)。

一般臭の嗅覚受容体

嗅覚受容体遺伝子は、ラットで初めて同定され(Buck and Axel, 1991)、Gタンパク質共役型受容体であることが示された(Firestein, 2001)。その後、脊椎動物ではヒト(Ben-Arie et al., 1994)、魚類(Ngai et al., 1993)や鳥類(Nef et al., 1996)の嗅覚受容体遺伝子が同定された。無脊椎動物では、ゲノム解析により線虫から7回膜貫通部位を持つ嗅覚受容体遺伝子が同定された(Troemel et al., 1995、Sengupta et al., 1996)。昆虫においてもゲノム解析が進み、現在までにキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)から62種類、ミツバチ(Apis mellifera)から170種類、ハマダラカ(Anopheles gambiae)から79種類、ネッタイシマカ(Aedes aegypti)から131種類、コクヌストモドキ(Tribolium castaneum)から341種類、カイコガ(Bombyx mori)から66種類の嗅覚受容体遺伝子が推定されている(Clyne et al., 1999、Vosshall et al., 1999、Gao and Chess, 1999、Fox et al., 2001, 2002、Hill et al., 2002、Krieger et al., 2002, 2004、Robertson and Wanner, 2006、Wanner et al., 2007、Bohbot et al., 2007、Engsontia et al., 2008、Tanaka et al., 2009)。昆虫の嗅覚受容体は疎水性領域の解析から、7回膜貫通型であることが示されている。しかし、哺乳類の嗅覚受容体と比較して、昆虫の嗅覚受容体は配列の類似性が低く、DRYアミノ酸モチーフ構造のような類似配列が存在しない。また、C末端が細胞内、N末端が細胞外に位置するトポロジーをとるなど、脊椎動物の嗅覚受容体や他のGタンパク質共役型受容体とは異なり、Gタンパク質共役型受容体に見られる多くの特徴を欠くことが指摘されている(Wistrand et al., 2006、Benton et al., 2006、Lundin et al., 2007)。

昆虫の嗅覚受容体の機能同定は、アフリカツメガエル卵母細胞発現系やキイロショウジョウバエの形質転換体を用いた電気生理学実験と、ヨトウガ卵巣細胞由来のSf9細胞発現系を用いたカルシウムイメージング法により進められてきた(Wetzel et al, 2001、Stortkuhl and Kettler, 2001、Hallem et al., 2004、Lu et al., 2007、Anderson et al., 2009、Tanaka et al., 2009、Jordan et al., 2009)。昆虫の嗅覚受容体では、キイロショウジョウバエのOr43aを用いて初めて機能同定が行われた。アフリカツメガエル卵母細胞を用いた機能解析によりOr43aがベンズアルデヒドやシクロヘキサノンに応答することが示されている(Wetzel et al., 2001)。同時に報告された論文では、Or43aを異所発現させたキイロショウジョウバエ触角を用いて触角電位図EAG(electroantennogram)を行い、in vivoにおけるOr43aの応答特性を調べており、卵母細胞における応答と同様に、ベンズアルデヒドやシクロヘキサノンに応答することが示された(Stortkuhl and Kettler, 2001)。これら二つの研究により、in vivoで嗅覚受容体により匂いの受容と識別が行われていることが明らかとなった。

その後、Carlsonのグループにより、キイロショウジョウバエの形質転換体のempty neuronによる手法を用いて嗅覚受容体の大規模な機能解析が進められている(de Bruyne et al., 1999, 2001、Hallem et al., 2006)。本方法を用いて、キイロショウジョウバエの24種類の嗅覚受容体について110種類の匂い成分に対する応答測定が実施され、24種類の嗅覚受容体について機能同定が行われた(Hallem et al., 2004、2006)。また、最近では、ハマダラカの嗅覚受容体についても本方法の適用により、50種類の嗅覚受容体について応答特性が明らかにされている(Carey et al., 2010)。これら嗅覚受容体の応答特性はORNでの応答特性と同じであることが示されており、ORNの応答が嗅覚受容体によるものであることが示された。

カイコガにおいても一般臭に対する嗅覚受容体の同定が進められている。Andersonらは、Sf9細胞を用いたカルシウムイメージング法を用いて、3種類の雌に特異的に発現する嗅覚受容体(BmOR19、BmOR45、BmOR47)の機能を同定した(Anderson et al., 2009)。BmOR19はリナロールに、BmOR45、BmOR47は安息香酸に応答することが示され、これらの成分が植物由来の匂い成分であることから、産卵場所や雄の放出するフェロモンの認識に関わっている可能性が示唆されている。また、Tanakaらは23種類のカイコガ幼虫で発現する嗅覚受容体について機能解析を行った(Tanaka et al., 2009)。これらのうち、BmOR59がカイコガの食草である桑の葉に含まれるシスジャスモンに特異的な嗅覚受容体であることを示し、シスジャスモンによるBmOR59の活性化がカイコガの幼虫の食草の探索に関わることを示唆している。

昆虫では、最近、嗅覚受容体の特殊な分子メカニズムが明らかになってきた。これまで、昆虫において触角にGタンパク質が存在すること(Laue et al., 1997)、三量体Gタンパク質を介した二次伝達物質であるIP3(inositol-trisphosphate)が匂い応答時に一過性で急速に上昇すること(Boekhoff et al., 1993)、そしてIP3によって開閉されるイオンチャネルが存在すること(Stengel, 1994)などの観察結果から、昆虫の嗅覚応答はGタンパク質共役型受容体(GPCR)を介したシグナル伝達経路によって化学的なシグナルを電気的なシグナルに変換し、匂いの情報を伝えると考えられてきた(Krieger and Breer, 1999)。しかし、キイロショウジョウバエのOr83bと呼ばれるタンパク質の機能から、昆虫に特異的な嗅覚シグナル伝達機構があることがわかった。

Or83bのアミノ酸配列は嗅覚受容体と似ているものの、Or83bは嗅覚受容体としては機能しなかった。このタンパク質は昆虫種を超えて、アミノ酸配列がよく保存されている(Krieger et al., 2003、Jones et al., 2005)。キイロショウジョウバエでは、Or83bが嗅覚受容ニューロンの大多数で発現しており、Or83b欠損変異体は匂いに応答をしなかった(Vosshall et al.,1999、Larsson et al., 2003)。形質転換体キイロショウジョウバエを用いた研究から、Or83bの機能は嗅覚受容体の膜への輸送や保持であると推定された(Benton et al., 2006)。培養細胞を用いたin vitroの実験から、Or83bは嗅覚受容体とヘテロ複合体を形成していることが明らかにされた(Neuhaus et al., 2005、Lundin et al., 2007)。Or83bファミリータンパク質はカイコガでも見つけられており、アフリカツメガエル卵母細胞で性フェロモン受容体と共発現させると受容体の性フェロモンに対する応答感度が上昇した(Nakagawa et al., 2005)。その後、昆虫の嗅覚受容体では、Gタンパク質を介してシグナル伝達されるのではなく、Or83bファミリータンパク質と共にチャネルを形成し、リガンド作動性のカチオンチャネルとして機能することが明らかにされた(Sato et al., 2008、Wicher et al., 2008)。このように、昆虫において匂いのシグナルは、匂い結合型のイオンチャネルを通して、ORNにシグナルを伝達することが示された。

その他の嗅覚受容体(イオンチャネル型グルタミン酸受容体)
キイロショウジョウバエでは、一般臭に対する嗅覚受容体やフェロモン受容体のほかにイオンチャネル型グルタミン酸受容体(ionotropic receptor;IR)が嗅覚受容体として機能していることが報告されている。(Benton et al., 2009)IRは、NMDA、AMPA、Kainate受容体と類似性があるが、グルタミン酸を受容する部位が欠失しており、嗅覚感覚子(Coeloconica sensillum)の感覚ニューロンの樹状突起で発現しているという特徴がある。異所発現させた遺伝子組換えキイロショウジョウバエによる機能解析からこれらIRがアンモニア、フェニルアセトアルデヒドを含む一般臭を受容することが示されている。しかし、現在のところ、カイコガを含む他の昆虫種では未だ単離、同定されていない。



参考文献
戻る