匂いセンサの開発
大気中には、植物の香りのようにアロマテラピーの分野で効果のある匂い物質や、近年の住宅内の塗装や喫煙習慣による人体に悪影響を与える化学物質など、様々な揮発性物質が含まれる。人体に悪影響を及ぼす化学物質については低濃度で効果を示すものや、瞬時に効果が表れるものなど様々であり、これら微量の化学物質を正確にそして迅速に検出することに対する社会的ニーズが高まっている。また、匂いを手掛かりにした被災地での救助活動、空港での麻薬などの検査、爆発物や地雷の検知などの必要性が検討され、化学センサの幅広い活用が期待されている。これまでに高感度センサとしてガスクロマトグラフィーを用いた検出方法でppbレベルの検出が可能であるが、リアルタイムでの検出は不可能であり、非常に高価な機器である。また検出については技術を有する人材の必要など問題点がある。また、これまでに水晶振動体や半導体、抗原抗体反応などを利用したセンサの開発が行われており一部は実用化されつつあるが、検出感度、識別能、検出速度、コストなど、匂いセンサの幅広いニーズを考慮すると検討すべき課題は多い。これらの課題を解決する可能性を秘めたセンサとして、生物の高感度、高選択的識別機構を利用した生物利用型の匂いセンサの開発が進められている。
現在までに報告されている生物利用型の匂いセンサとしては、酵母センサ(Radhika et al., 2007)、神経細胞センサ(Figueroa et al., 2010)、卵母細胞センサ(Misawa et al., 2009)、培養細胞センサ、がある。
酵母センサは、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)のmating factorと呼ばれる接合フェロモンの受容メカニズムを利用した匂いセンサである(Radhika et al., 2007、Minic et al., 2004、Pajot-Augy et al., 2003)。従来、酵母はタンパク質の発現系として利用されており、哺乳類の神経伝達物質の受容体の発現もその一例である。対象として哺乳類のGタンパク質共役型の嗅覚受容体を用いて、酵母のフェロモン受容体を置き換えることで、匂い分子に対して各種遺伝子発現に伴う細胞分裂の停止や接合の応答を示す。現在までに、酵母から単離したナノソームを用いた表面プラズモン法による匂い応答測定にも発展してきている(Minic et al., 2006)。
しかし、哺乳類の嗅覚受容体はGタンパク質共役型受容体(G-protein coupled receptor;GPCR)であり、一般に異種細胞での発現が困難である。そのため、様々な匂いを識別する目的に適しているとは言い難い。そこで、Figueroaらはマウスの嗅覚受容ニューロン(OSN)をそのまま使用した匂いセンサの構築を行っている(Figueroa et al., 2010)。OSNは嗅覚受容体を元より発現している細胞であるため、OSN自体が匂いのセンサとして機能することになる。本センサではマウスより単離した約20,000個の単一嗅覚受容ニューロンを微小流路上のウェルに回収し、これらの匂いに対する応答をカルシウムイメージングにより測定する手法をとっている。これにより、匂い物質に対する細胞の応答パターンを解析することで4種類の匂いの識別が可能となっている。
上述の匂いセンサに加えて、昆虫の嗅覚受容体を利用したセンサの開発も試みられている。昆虫の嗅覚受容体は選択的に匂いを受容するが、哺乳類の嗅覚受容体と異なり細胞内のシグナル伝達経路を介さないイオンチャネル型の受容体として機能する(Sato et al., 2008、Wicher et al., 2008)匂い識別機構参照)。この特性を利用することにより、脂質二重膜と昆虫の嗅覚受容体のみで匂いに対する応答活性が得られる。これにより作出されているセンサが、Misawaらにより提案されたカイコガや昆虫の嗅覚受容体を利用した卵母細胞センサである(Misawa et al., 2009)。本センサはMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)技術と生物の技術を融合したセンサであり、複数の卵母細胞をアレイ化することができる流路と昆虫嗅覚受容体の卵母細胞での高感度応答により複数の匂いを高感度で検出することができる。これにより、高感度かつ高識別な匂いセンサとして昆虫の嗅覚受容体が有用であることが示された。
さらに、各種培養細胞を利用したセンサの開発も試みられている(神崎研)。従来、培養細胞はタンパク質の発現や受容体の機能解析の手法として利用されてきた。昆虫の嗅覚受容体についても、哺乳類の細胞ではHEK293細胞やHeLa細胞で、昆虫の細胞ではSf9細胞で、カルシウムイメージング法により機能解析が行われている(Sato et al., 2008、Kiely et al., 2007、Neuhaus et al., 2005)。これら培養細胞を用いることで、昆虫の嗅覚受容体の容易な発現及び匂い応答の可視化が可能となり、新たな匂いセンサの開発につながると考えられる。
生物を利用した匂いセンサの開発例は上述したとおりであるが、最近では、人工的に作出した脂質二重膜に膜タンパク質を組み込む技術及び検出技術や、また、カイコガでは遺伝子組換え体の作出技術が確立されてきており、生物利用型の匂いセンサ開発への技術が蓄積されつつある。今後、これら技術の発展を含め、高感度かつ高識別の生物利用型の匂いセンサの実現化そして実用化が期待されている。
匂い源探知ロボット:ガス漏れ探知、火災源の早期発見、有害物質や環境汚染物質の発生源の探知、被災地での匂いを手掛かりとした救助活動、さらには空港での麻薬などの検査、爆発物や地雷の検知など
参考文献