戻る コオロギによる音源定位
メスのコオロギはオスの歌う誘引歌を認識し,オスの位置を特定することができる.この際,メスコオロギはことなる種の生物や別の場所で生じた雑音などではなく,同種のオスコオロギによって発せられた音を認識する必要がある.さらには,複数のオスコオロギの歌が聞こえてくるような状況ではメスはどのオスを選択するか必要になる場合も生じてくる.このような特定の音源への接近(音源走性)に関しては,多くの行動学的,解剖学的,神経生理学的検討が行われてきている.メスの誘引歌の認識における非常に重要な手掛かりは,歌の搬送周波数と時間的なパタンである.オスは2枚の翅を交差させ,櫛をやすりでこするようにして振動を生じさせ,さらに翅の共振領域で増幅している.メスはバーストが特定の周波数で反復する信号を選択しているが,その選択メカニズムをコオロギロボットを構築することで解明するというアプローチがとられている.ここではその一部を紹介することで,ロボットを用いた神経システムの解明の一つの方法を示す.

コオロギロボットはKheperaロボットの縮小モデルに基いている.このロボットは,コオロギのもつ独特の聴覚システムを模倣するために設計された音響処理回路をもっている.コオロギは左右の前肢に鼓膜器官をもち,それらは気管によって相互につながり,さらには体表面の気門につながっている.その結果,鼓膜の振動は,鼓膜の外側と内側の入射音の圧力差を反映する.異なった方向から到来する音は,異なった距離だけ伝播した結果生じる圧力差を鼓膜の外側と内側に生じさせる.このことにより,信号の位相的な相殺が起こり,鼓膜の振幅は音の方向を反映する結果となる.これが,コオロギにおいては聴覚受容器が左右で比較的近い位置にあるにもかかわらず,強い指向性をもっている要因となっている.コオロギロボットではわずかに離して設置した二つのマイクロホンの信号の差と,プログラムで変更可能な電気的遅延を用いコオロギと同じメカニズムを実装した.このロボットはコオロギの誘引歌の搬送周波数と合うように耳の間隔と内部の遅延を調整すると,他の周波数では音源方向の同定能力が下がることが分かった.この副次的効果は搬送周波数への選択性を高めることにも作用した.この結果,ロボットは周波数フィルタを使用しなくともロボットが正しい搬送周波数の音源方向へ移動する性能をもつことが分かった.

このロボットにおいては音はニューラルネットにより処理されている.生物生物学的な詳細を担う処理を加減しながらこのネットワークのいくつかのバージョンを実装している.コオロギの神経回路の完全な詳細はまだ分かっていいないが,以下では手法の原理を説明するため,より簡単なネットワークの一つを説明していくことにする.コオロギの前胸神経節において一対同定される上降性ニューロン(AN)は音源走性を制御する上で決定的であると考えられている.ANは聴覚受容器から直接入力を受け取りる.また,AN1の発火応答は,誘引歌のパタンと同じで,発火率と反応時間は振幅を符合している.これらの特性はニューロンの最も基本的なモデルである積分発火モデルと使ってロボット上で再現されている.簡単なモデルではANは二つの出力ニューロンであるモータ―ニューロン(MN)に接続している.各ANは同側でMNと興奮性の接続をしており,反対側のMNと抑制性の接続をしている.シナプスの接続は一個の重みで表現され(シナプス荷重),この荷重はそれぞれの発火におけるシナプス間の伝達の強さを表している.この荷重は動的に変化し,速いスパイク列が来た際には,シナプスは抑圧(シナプス荷重の減少)され,その回復にはシナプス前ニューロンのスパイク列の途切れることが必要になる.抑制は負の入力ではなく,シナプスにおいて興奮の効果を抑える開閉制御を意味する.これらの特性は標準的な人工ニューラルネットワークよりも現実のシナプスの働きに近いものである.この回路おいてはMNのスパイクがロボットの方向転換の制御に使われる.左耳で受音された信号は同側のANを興奮させ,それが同側のMNを興奮させると同時に反対側のANによる反対側のMNの興奮を抑制する.この結果,左右どちらかのANでも先に発火した方が応答を制御することになる.また,シナプスの抑圧のため,ANの活動の開始部分だけがMNの興奮に大きく寄与することになる.この原理は,コオロギと同様の刺激と行動の枠組みでテストすると,観測される幅広い行動を説明できる.たとえば,ロボットを異なる音節周期(SRI)をもつ擬似的な歌を使ってテストするとSRIはコオロギにとって誘引歌認識の決定的な手掛かりになることが示された.

こうしたロボットを用いた神経システムの解明手法は現在も進行中であり,特にここでは虫の行動について仮説を探求する手段としてロボットロボットを利用する手法を紹介した.研究結果は,しばしば更なる疑問を呼び起こし,それは改良したロボットモデルにつながる生物学的実験を必要とするものである.対象動物と同じ枠組みにおいてロボットをテストすることにより,システムに関する私たちの理解が動物行動の再現に十分かどうかを知ることができる.


戻る