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クチクラに基づく材料設計論

昆虫の外骨格をなす角皮(クチクラ)は昆虫の体を支え,形を規定し,防水性を付与する一方,高い変形能,付着性,耐摩耗性,気体の拡散制御性などの力学的特性を保持している.また,成虫は一般に飛行するのでクチクラは非常に軽量である.そこで,

1. クチクラは低重量で優れた機械的性質を発現する秘密は何か?
2. クチクラの機械的性質はいかにしてさまざまな機能を発現するのか?

といった疑問が生じるが,この問いに答えることは私たちの材料開発に非常に有益であると考えられる考えられる.そこで,ここではクチクラの化学的性質,機械的特性を概観していくことにする.

クチクラの化学的性質
昆虫のクチクラはタンパク質の母材とキチンのナノ繊維との繊維強化複合材である.キチンはセルロースに似た多糖類であるが,その結晶は懸濁液中では高い揺変性(懸濁液を静置するとゲル状になるが激しく揺するとゾル状になる性質)を示し,液晶状になる.このことは,キチンのナノ繊維が,自己組織化に必要な安定構造を容易に形成できることを示唆している.
母材であるタンパク質は,キチンと結合してクチクラを安定に維持できる機械的性質を備えていおり,おそらくガラス繊維複合材の母材である樹脂と同様の働きをしていると考えられる.キチンと結合するたんぱく質はキチン上の結合サイトに一致する,絹のようなβシート分子配位を持っている.βシート以外にも,脊椎動物で典型的に見られる弾性に富む水和性タンパク質であるエラスチンとよく似たβターン構造を含むレジリンと呼ばれるタンパク質も水和性クチクラの重要な成分である.タンパク質はキチンのナノ繊維を規則的に囲んでいる.タンパク質はナノ繊維の,ある特別な面にのみ結合しており,残りの表面にはない.クチクラの単位体積あたりのキチンの結合表面積は炭素繊維複合材における炭素繊維より106倍大きい.タンパク質とキチンの界面剪断強度は,およそ30MPa程度で,炭素繊維と母材間の接着強度の約半分程度である.
昆虫は成長する際,古いクチクラの下に新しいクチクラを形成し,古いクチクラを破って抜け出さなければならない.クチクラは表皮細胞から分泌されるいろいろなオルト・ジヒドロキシフェノールの置換化合物は反応性の高いキノン系の化合物に変換され,おそらくタンパク質を交差結合して硬化させる.同時にクチクラから大量の水分が失われる.クチクラの高剛性化はタンパク質から水分が取り除かれることによる二次反応の方がフェノールによる架橋(共有共有結合)よりも重要であり,含水量の操作により剛性を制御することを可能にしている.クチクラの機械的性質は含水量に非常に敏感であり,このことはクチクラの安定化に重要な要素が水素結合であることを示唆している.例えばハエの幼虫の軟らかいクチクラでは,ゆっくりと水分を減少させると剛性はわずか2〜3%の含水量の変化で最大10倍程度増加する.

クチクラの機械的性質

繊維強化複合材の機械的性質は繊維の体積含有率と繊維(ナノ繊維)の配向方向に影響される.昆虫のクチクラに関しては,その乾燥質量でみると,硬質クチクラのキチン含有量は低く,軟質クチクラのキチン含有量は高い.残りの大部分はタンパク質の母材である.キチンのナノ繊維の配向パターンは,液晶材料に見られる配向パターンを連想させるもので,ナノ繊維が一定方向に配列し,隣接した繊維の端が揃っていたり,バラバラであったり,また厚く規則的に向きを変えながら層状に配列している.繊維の配向は,繊維複合材の力学的性質に顕著に反映されている.例えば,昆虫の体を覆う板状の部材内の繊維は,配向がらせん状に変わり,高い引張応力成分を受け持っている.強い張力のかかるバッタの後ろ肢の跳躍筋の腱では,最大主応力の方向にキチン繊維が配向されている.
食物を噛み切ったり磨り潰したりする昆虫の大顎のクチクラは強化されている.この硬さは歯のエナメル質と同程度である.このクチクラの強化は亜鉛やマンガン,ときには鉄といった重金属を取り込むことで実現されている.これらの金属は最大でクチクラの全乾燥質量の16%と比較的大量に存在し,硬さを25から80kgf/mm2にまで引き上げている.
ヤング率と密度の関係を見ると,クチクラは,密度範囲は狭い(1〜1.3Mg/m3)が,ヤング率の範囲は非常に大きい.クチクラの働きは広範囲にわたっており,硬化を受けて乾いたクチクラの曲げ変形における効率は,木材やアルミニウム,典型的な航空機材料である炭素繊維強化複合材(CFRP)などの効率に匹敵するほど高い.
昆虫は,感覚毛や鐘型感覚子のような機械的なセンサーを通して外界を認識しており,クチクラはそれらセンサーを備えた障壁と見ることができる.これらのセンサーは,材料と形状の最適な組み合わせの素晴らしい例である.これらの感覚子は基本的にクチクラに空いた穴の構造をとっており,この穴の変形によりクチクラに掛かる荷重をモニターしている.そして広範囲の荷重を10倍ないしそれ以上に増幅できるように,穴の周囲は柔軟にできている.個々の穴は,その周囲に荷重を安全に 分散するように配置されたキチンの繊維状組織を持っている.昆虫の関節についての知見はほとんど得られていないが,キチンやクチクラは大きな変形が必要な弾性ヒンジを構成しうる能力を持っている.
構造としての剛性は,その構成材の性質とその形状に依存する.クチクラは,曲げたり,波板所いうにしたり,リブ(梁),ウェブ(リブの間を曲面でつなぐ補強材),縦通材,フランジなどの航空機の構造とよく似た構造要素を作ることにより剛性を高めることが可能である.部位によってはクチクラがサンドイッチ構造をとることもある.これらの強化法は力に抵抗してクチクラの破壊を遅らせるのに役立っている.昆虫の外骨格について最適設計に関する考察は全くなされていない.

クチクラのバイオミメティックス
さまざまな構造や機能をもつクチクラは,革新的な工学設計を可能にするひらめきの非常に大きな供給源である.例えば,接着剤なしで両面使える付着システム,さまざまな摩擦条件に対応できる耐摩耗関節,機能性表面力学センサー等である.また,実環境から課せられる全ての複雑な要求を満足させるように,繊維強化され複合化されたクチクラの構造と特性も,そのよい例である.優れた機械的性質をもつ複合材の設計への,キチンに似たナノ繊維の利用も考えられる.しかしながら,クチクラの材料としての性質を理解することは比較的容易であるが,クチクラの設計や生産について評価したり比較することは難しい.この問題を解決するためにはTRIZ理論のような新たな問題解決が望まれる.
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