昆虫の嗅覚受容
昆虫は主に頭部に付属する一対の触角により環境の匂いを受容する。触角上には感覚子と呼ばれる多数の突起状の感覚器が存在しており、嗅覚感覚子はクチクラ上に多数の嗅孔をもつ多孔性感覚子である。嗅覚感覚子の内部には複数の嗅覚受容細胞があり、匂い受容部位である樹状突起を感覚子内へ、軸索を中大脳にある触角葉とよばれる嗅覚情報処理の一次中枢へ伸ばしている(触角の項参照)。匂い分子は触角上の嗅覚感覚子のクチクラへの吸着、拡散を経て、嗅孔を通り感覚子内部へと入る。感覚子内はリンパ液(感覚子リンパ)で満たされているため、揮発性で水に溶けにくいフェロモンや匂い分子は、感覚子リンパ中に高濃度で存在するフェロモン結合タンパク質(PBP)または匂い結合タンパク質(OBP)と結合することで可溶化され、樹状突起膜上に発現する嗅覚受容体へと移行すると考えられている。また最近PBPはフェロモンの可溶化・移行の機能だけでなく下記に示す嗅覚受容体の活性化にも必須であるという結果が報告されている。結合タンパク質により可溶化された匂い分子が受容細胞の樹状突起膜上に発現する嗅覚受容体と結合すると、受容細胞の脱分極が引き起こされ、活動電位が発生し匂い受容シグナルが触角葉へ伝えられる。本項では、フェロモンと一般臭の匂い受容の分子機構を中心に最近の知見を紹介する。
参考文献
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Tamura, T., Kuwabara, N., Uchino, K., Kobayashi, I., & Kanda, T. An improved DNA injection method for silkworm eggs drastically increases the efficiency of producing transgenic silkworms. J. Insect Biotechnol. Sericol, 76, 155-159 (2007).
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Nagel, G., Szellas, T., Huhn, W., Kateriya, S., Adeishvili, N., Berthold, P., Ollig, D., Hegemann, P. and Bamberg, E. Channelrhodopsin-2, a directly light-gated cation-selective membrane channel. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 100, 13940-13945 (2003).
昆虫嗅覚受容体遺伝子
バックとアクセルにより、1991年に嗅覚受容体遺伝子がラットではじめて単離され、これがGタンパク質共役型受容体(GPCR)ファミリーに属することが示された19)。その後、魚類やセンチュウでもGPCRファミリーに属する嗅覚受容体遺伝子が単離された。
一方、昆虫においても、匂いやフェロモン受容後にGタンパク質を介した二次伝達物質であるイノシトール三燐酸(IP3)が急速かつ一過性の上昇を示すこと、嗅覚受容細胞の樹状突起膜上にIP3により開くイオンチャネルが存在すること、キイロショウジョウバエのホスホリパーゼC欠損変異体で匂い応答が減少することなどから、嗅覚受容体はGPCRであると推測された。そして1999年にフォッセルらによって、キイロショウジョウバエのゲノム解析から新規GPCRをコードする遺伝子の探索によって昆虫ではじめて嗅覚受容体候補遺伝子ファミリーDOr(Drosophila
odorant receptor)が同定された20)。
さらに、2000年にショウジョウバエの全ゲノム配列が解読され、DOrファミリーは60遺伝子から構成され、62の受容体タンパク質をコードすることが示された。そのうち42遺伝子が成虫の嗅覚受容細胞で特異的に発現している。DOrの推定アミノ酸配列には膜貫通領域と推定される7つの疎水性領域があり、脊椎動物やセンチュウの嗅覚受容体と同様にGPCRファミリーに属すると考えられる。しかし、既知のGPCRのアミノ酸配列との間に保存性がないことから、昆虫は独自の嗅覚受容体ファミリーを形成しているようである。ショウジョウバエでは、個々の嗅覚受容細胞は一種類の嗅覚受容体と、例外的にほとんどすべての嗅覚受容細胞で発現するOr83の2種類の受容体を発現している21)。
一方、フェロモン受容体遺伝子は、櫻井らにより2004年にカイコガではじめて同定された22)。カイコガのフェロモン受容器は雄の触角にあり、雌は自らの放出するフェロモンに反応しない。そこで櫻井らは、雄触角cDNAライブラリーについてdifferential
screeningを行い、雄触角で特異的もしくは多量に発現する遺伝子を単離することでフェロモン受容体遺伝子を得た。得られたcDNAクローンのひとつは、既知の昆虫嗅覚受容体遺伝子とアミノ酸配列に類似性を示した。このクローンはカイコガの学名にちなんでBmOR1(Bombyx
mori olfactory receptor 1)と名付けられた22)。アフリカツメガエル卵母細胞にBmOR1を発現させた一連の研究から、BmOR1はボンビコールを特異的に受容し、BmGqを介したシグナル伝達系を活性化することが示された。また、BmOR1と既知の昆虫嗅覚受容体配列をもとにカイコゲノム中に29個の嗅覚受容体様の配列が見出された。それらのうち4遺伝子が雄特異的もしくは優位に発現していたが、BmOR1以外に卵母細胞発現系でボンビコールに応答する受容体はなかった22)。
さらに、カイコガ雌の触角に、組換えバキュロウイルス感染によりBmOR1を発現させると、ボンビコールに対してのみ電気的応答を示した22)。以上の櫻井らによる一連の研究を通して、カイコガのフェロモン受容体の実体が、ブテナントがフェロモンの化学構造を決定してから、実に半世紀を経てはじめて明らかになったのである22)。
昆虫は花や食べ物の匂いなどの一般臭とフェロモンを受容する2種類の嗅覚受容器を備えている。一般臭の受容器は特異性が低く、さまざまな匂い物質に応答を示す「ジェネラリスト」の性質をもつ。また、匂い応答スペクトルは受容器どうしで一部重複する。一方、フェロモン受容器は特異性が高く、リガンドと受容細胞は一対一で対応する「スペシャリスト」である。一般臭の受容器はショウジョウバエやゴキブリ、ミツバチでよく調べられており、応答スペクトルによりいくつかのタイプに分類される1-3)。
カイコガ(
Bombyx mori)は1959年にはじめてフェロモンの化学構造が同定された種であり
16)、これまでにフェロモン受容系のモデルとして多くの知見が蓄積されてきた。フェロモンの特異的な受容器は雄の触角に密生する毛状感覚子である(
リンク)。フェロモンは主成分であるボンビコール(bombykol) [(E、Z)-10、12-hexadecadien-1-ol]と副成分であるボンビカール(bombykal)
[(E、Z)-10、12-hexadecadien-1-al]から構成される
16,17)。カイコガの雄はボンビコールのみで完全な配偶行動を発現する。一方、ボンビカールはボンビコールによる雄の配偶行動の解発閾値をあげ、行動を抑制する効果がある17)。毛状感覚子には、ボンビコールとボンビカールに高感度かつ特異的に電気的応答を示すフェロモン受容細胞が対になって入っている。これらの細胞はわずか1分子のフェロモンに対し興奮するといわれ、他の化合物にはほとんど応答を示さない
17,18,22,23)。